供養とは功徳を積む行為のことなのです

供養とは功徳を積む行為のことなのです はコメントを受け付けていません

仏

供養とは?

仏教関係の法要やその他の行事などのときに、よく使われる言葉の一つに供養というものがあります。
大方は、亡き人のご冥福を祈って行われる行為のことを供養と呼ぶということは、多くの人が何となく身に着けているものということが言えます。

仏壇にご飯や水を供えたり、墓前に花を飾ったり、読経をしたりして、亡き人のご冥福をお祈りする行為を指すのだという認識から来ています。
でも、この場合は亡き人のためにということがポイントになっていますが、アジアの仏教国などでは托鉢をする僧侶に施しをする行為、いわゆるお布施は亡き人でなく生存する僧侶に対するものですが、同じ言葉で表現されています。

実は、功徳を積むという行為は全てこの言葉と同じことの意味なのです。
根本にあるのは、善行によって生まれた善業は、必ず善い果報をもたらすという因果の道理からなのであり、善因善果・悪因悪果と呼ばれることもあります。

夏のお盆の時期に施食会などがお寺で行われ、目的は依頼してきた施主たちの先祖に対するものでありますが、あらゆる精霊に対し供物を捧げて読経をするということがあります。

これは狭い世界だけでなく、広い世界へ輪を広げていくという仏教の考え方から発していることです。
自分たちの世界だけでなく、自他ともにという考え方でもあるという深い意味も持っています。

亡き人のご冥福をお祈りするという行為

元に戻って、亡き人のご冥福をお祈りするという行為ですが、お通夜やお告別式当日だけでなく、また四十九日法要や初盆あるいは一周忌法要というときだけでなく、陰日なたなく、お供えをしたり、仏壇の下で手を合わせたり、もっと広い意味では、毎日を精一杯生きていくということや、仕事に集中するということなども含めて、すべてのことが功徳を積むということに繋がっています。

これらには直接的でないものも含まれていますが、いずれもが亡き人に善い果報が訪れてくるということに結び付くのです。
何がしかご縁のある人はもとより、縁が薄い人に対しても功徳と積むということが皆さんへの供養になるということにもなります。

したがって、身近な人が亡くなった場合には、こうしたことを良く承知し、葬儀以降も折に触れて想い、手を合わせ、少なくとも七日ごとに読経も行い、お花を添えたり、お線香を焚いたりすること、そして生業に励み、一所懸命生活することがいいということになのです。

お坊さんの「皆さんが功徳を積まれたので良い供養となり、故人が仏様におなりになりました」という四十九日のご挨拶には、こうした意味が込められているわけです。

最終更新日 2025年6月9日 by quasportl