
日本はいまでは、世界屈指も慈善事業を展開する国となりました。
その歴史は意外と短く、まだ40年程度しかありません。
それ以前は国際連合が主導となって途上国の支援をなされており、1950年代は日本もその支援対象国でした。
つまり、我々の2代ほど前の先祖が暮らしていた国内は、現在のアフリカや東南アジアと同じ途上国だったというわけです。
そこでここでは、詳しく日本が先進国となった歴史と実施されている慈善事業について解説をしていきましょう。
1990年に設立された日本ユニセフ協会の概要にも触れていくので、多くの方の参考になえば幸いです。
日本の戦争の歴史
日本は明治時代から昭和初期にかけて、軍事国家となっていました。
そのため日露戦争や日中・太平洋戦争時は国民全員が、日本国が勝利をおさめるために力を貸していたわけです。
出兵されるのは男性だけでしたが、女性はその間家を守りつつ、軍事奉仕という仕事も課せられていました。
民主主義ではなく社会主義であったので、好きなものを購入したり食べることはできなかったわけです。
これは今の途上国と同じであり、その変化が起きたのは1945年の太平洋戦争敗戦の時期からです。
連合国軍によって全国は統治をされ、新しく憲法も制定されました。
そのなかには、今後日本は軍事力を一切持たず、国民を代表とした国造りを重んじるというものです。
つまり、日本はわれわれ国民の意思によって運営をされていくことを、国際社会が認めたというわけでした。
GHQによって緊急事態宣言が出される
ところが敗戦後は大きく国力は低下をしており、食べる物さえもない状態でした。
GHQによって緊急事態宣言がだされ、国連が食糧の支給を開始されたのがこの時期です。
多くの方がニュースなどでトラック一杯に食糧を持参し、それを民衆に配っている様子を目にされたことがあるでしょう。
それはユニセフの活動であり、現在の日本も当時は同じ恩給を受け手いたわけです。
なお、ユニセフが誕生したのは1960年からで、当時はまだ国連という名称で統一をされていました。
アメリカを代表としており、イギリス・フランス・オランダ・スイスといった欧州諸国を中心に構成されているのがポイントです。
日本がユニセフの一員となった経緯
ここからは日本がユニセフの一員となった経緯を、簡単にご紹介していきましょう。
GHQの指示を受けた国連によって、1950年から1962年まで食糧支援と産業補助を受けていました。
学校では必ず給食が用意されるようになり、義務教育という小学校と中学校が誕生したのもこの時期からです。
教育水準が高まり、国民も食糧を十分に手に入れられるようになって一気に時代は前へと進みだします。
その後はますます経済的な発展を遂げ、1985年には東京・港区に日本ユニセフ協会の支部が設立されました。
当時はまだNPOという位置づけで、おもに国内支援を中心にしていましたが、1992年に本部から正式に日本支部という認可を得て、国際社会にも手を広げていきます。
日本ユニセフ協会が実施している独自の慈善活動
ここからは、日本ユニセフ協会が実施している独自の慈善活動にスポットを当てて、詳しく見ていきましょう。
日本ユニセフ協会の活動範囲はおもに東南アジア諸国となっており、ミャンマー・カンボジア・ベトナムなどに力を入れています。
教師や医者・看護師などの専門資格を有している方をJICAという青年海外協力隊員に任命をしており、約5年間の任期で派遣をされているのが特徴です。
教育が満足に行き届いておらず、飲み水が不足をしている過疎地域を中心に支援をしており、なかには土木作業に従事を方もいるほどです。
日本ではこのJICAの活動に従事をすれば、勲章が授与されるため決して意味がない活動ではありません。
一族揃ってJICAに携わっている方もいるほどで、社会的なステータスは非常に高いのがポイントと言えるでしょう。
まとめ
日本ユニセフ協会で2016年から、マンスリーサポートという新しいと入り組みもスタートさせました。
これは毎月400円という寄付をおこない、現地で暮らす12歳以下の里親登録をするものです。
税金控除の仕組みも取り入れているため、節税対策にもなると話題になりました。
たとえばカンボジアであれば400円で、約1ヶ月分に食糧を買うことが可能です。
貧困で苦しんでいる現地のお子さんを救うことが可能で、毎月400円だけ支払えば高い人道支援ができます。
日本ユニセフ協会ではメイン事業になされるようになり、街中やTVコマーシャルで大々的に宣伝をされています。
最終更新日 2025年6月9日 by quasportl